マーケティングにおけるフレーミング効果の実践活用:行動経済学が示すメッセージ設計のポイント
はじめに:なぜメッセージの「伝え方」が重要なのか
マーケティング活動において、どのようなメッセージを顧客に伝えるかは非常に重要です。同じ製品やサービスであっても、その情報をどのように表現するかによって、顧客の受け取り方や意思決定が大きく変わることがあります。これは、従来のマーケティング理論だけでなく、行動経済学の視点からも深く裏付けられています。
長年のマーケティング経験をお持ちのマネージャーの皆様は、A/Bテストなどを通じて、メッセージのちょっとした変更がコンバージョン率に影響することを実感されているかもしれません。しかし、なぜそのような違いが生まれるのか、どのような法則性があるのかを深く理解し、より確実な施策へと繋げるためには、人間の非合理的な意思決定プロセスに光を当てる行動経済学の知見が非常に有効です。
本稿では、行動経済学における重要な概念の一つである「フレーミング効果」に焦点を当てます。フレーミング効果が人間の意思決定にどのように影響するのかを解説し、それをマーケティングの実践、特にメッセージ設計や価格提示にどのように応用できるのか、そしてその効果をデータでどのように測定できるのかを具体的に掘り下げていきます。
行動経済学におけるフレーミング効果とは
フレーミング効果とは、同じ内容の情報であっても、その表現方法(フレーム)が異なるだけで、人々の意思決定や判断が変わる現象を指します。これは、人間が必ずしも合理的に、客観的な事実に基づいて判断するのではなく、情報が提示される文脈や見せ方に強く影響されることを示しています。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏とエイモス・トヴェルスキー氏が提唱したプロスペクト理論と深く関連しており、特に「損失回避性」という人間の傾向と結びついて理解されることが多い概念です。人々は、同じ絶対額であっても、利得よりも損失に対してより強く反応する傾向があります。この損失回避性は、フレーミング効果、特に「損失フレーム」と「利得フレーム」がなぜ意思決定に影響を与えるかの鍵となります。
フレーミング効果にはいくつかのタイプがありますが、マーケティングに関連性の高い主なものを以下に挙げます。
- 損失フレーム vs 利得フレーム:
- 利得フレーム:メリットや得られる利益を強調する表現。「この製品を使うと、〇〇が改善されます。」「この投資で、〇〇円の利益が得られます。」
- 損失フレーム:デメリットや回避できる損失を強調する表現。「この製品を使わないと、〇〇の問題が解決しません。」「この投資をしないと、〇〇円の損失を被る可能性があります。」 一般的に、人間は利得を得ることよりも損失を回避することに強い動機を感じやすいため、文脈によっては損失フレームの方が行動を促す効果が高い場合があります(ただし、リスクを伴う選択では逆の傾向が見られることもあります)。
- 属性フレーム:
- 対象の肯定的な属性を強調する表現 vs 否定的な属性を強調する表現。
- 例:「脂肪含有率10%の牛肉」と言うか、「脂肪不含有率90%の牛肉」と言うか。同じ情報ですが、後者の方がより健康的に聞こえる場合があります。
- 目標フレーム:
- 特定の行動によって達成できる目標(ポジティブ)を強調する表現 vs 特定の行動をしないことによる損失(ネガティブ)を強調する表現。
- 例:「シートベルトをすれば助かります」vs「シートベルトをしないと死にます」。後者の方が行動を促す場合があります(ただし、恐怖に訴えすぎるメッセージには注意が必要です)。
マーケティングにおけるフレーミング効果の実践応用
フレーミング効果の理論を理解することは、顧客に対するメッセージ設計、価格提示、製品・サービスの説明方法などを最適化する上で非常に強力な武器となります。具体的な応用例をいくつかご紹介します。
1. メッセージングの最適化
- プロモーションメッセージ:
- 期間限定セールの訴求:「今だけ10%オフ」という利得フレームだけでなく、「この機会を逃すと定価で購入することになります」という損失回避を匂わせる表現(希少性の原理とも関連)が有効な場合があります。
- サブスクリプションの訴求:「月額〇〇円でコンテンツが見放題」という利得フレームに加え、「月額〇〇円を払わないと、気になる情報を見逃してしまうかもしれません」という損失フレームを併用することも検討できます。
- 製品・サービスのメリット伝達:
- セキュリティ製品:「導入すれば安全です」(利得)だけでなく、「導入しないと、情報漏洩のリスクがあります」(損失)と伝えることで、危機感を醸成し、導入への動機を高めることがあります。
- 時短ツールの訴求:「このツールで1日〇時間節約できます」(利得)だけでなく、「このツールを使わないと、今まで通り無駄な作業に〇時間費やし続けることになります」(損失)と伝えることも可能です。
- LPや広告クリエイティブ:
- キャッチコピー、見出し、ボディコピーにおいて、どのフレーム(利得/損失、肯定/否定属性)を前面に出すかを設計します。ターゲット顧客の心理状態や、提供する製品・サービスの性質によって、最適なフレームは異なります。不安を抱えている顧客には損失フレーム、夢や願望を追求する顧客には利得フレームが響きやすいなど、ペルソナに基づいた使い分けが重要です。
2. 価格提示と割引表示
- 割引表示:
- 「20%オフ」と表示するか、「定価から〇〇円引き」と表示するか。購入金額が大きい場合は絶対値で提示する方が割引額が大きく感じられやすいなど、比較対象となる数値(アンカー)やフレームによって感じ方が変わります。
- 「通常価格〇〇円のところ、今だけ〇〇円」という表現は、「定価で購入する損失」を回避できるというフレーミング効果を含んでいます。
- セット販売/バンドル:
- 「別々に買うより〇〇円お得」という利得フレーム。
- 「セットで買わないと、〇〇円多く払うことになります」という損失フレーム。
- 送料:
- 「〇〇円以上のご購入で送料無料」という利得フレームは一般的ですが、「〇〇円未満の場合は送料〇〇円がかかります」という損失フレームも、顧客に「あと少し買えば送料という無駄な出費(損失)を回避できる」と感じさせ、追加購入を促す可能性があります。
3. UI/UXデザイン
- 選択肢の提示:
- ソフトウェアのインストールの際に、デフォルト設定が推奨設定(ユーザーに最も利得をもたらす、あるいは損失を回避させる設定)になっていること(デフォルト効果とも関連)。
- ニュースレター登録のチェックボックスが最初からオンになっていること。これはユーザーが「登録しない」という選択をする際に感じる小さな抵抗(損失)を利用していると言えます。
- 行動を促す文言:
- 「購入手続きへ進む」ボタンだけでなく、「購入を完了しないと、カートの商品が削除される可能性があります」といった文言を添えること(ただし、強制的な印象を与えないよう慎重な設計が必要です)。
効果測定とデータ活用
フレーミング効果の活用は、単なる感覚や経験則に頼るのではなく、データに基づいて効果を検証することが不可欠です。GAやMAツール、専用のA/Bテストツールなどを活用し、異なるフレームのメッセージや表示方法の効果を定量的に測定します。
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測定指標の例:
- コンバージョン率 (CVR): 最も直接的な指標。特定のフレーミングによって、購入、問い合わせ、登録などの目標達成率がどのように変化するかを測定します。
- クリック率 (CTR): 広告やメール、LP上のボタンなど、次のアクションへの誘導におけるフレーミングの効果を測定します。
- 直帰率/離脱率: LPやコンテンツの導入部分のメッセージが適切か、ユーザーの関心を引きつけられているかを測ります。ネガティブなフレームが強い場合、ユーザーが不快感を感じて離脱する可能性も考慮する必要があります。
- 平均セッション時間/ページビュー: コンテンツ全体のフレーミングがユーザーエンゲージメントにどう影響するかを測ります。
- カート放棄率: カート内のメッセージや送料表示のフレーミングが購入完了にどう影響するかを測ります。
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データ活用のポイント:
- 単一の指標だけでなく、複数の指標を組み合わせて評価することが重要です。例えば、損失フレームでCTRは上がったが、その後のCVRは低下した、という場合は、メッセージが強すぎて顧客の信頼を失った可能性があります。
- セグメント別の分析を行います。異なる顧客セグメント(新規/リピーター、年齢層、興味関心など)によって、効果的なフレーミングは異なる場合があります。ペルソナに基づいた仮説を立て、セグメントごとにA/Bテストを実施することで、よりパーソナライズされたアプローチが可能になります。
- 短期的な効果だけでなく、長期的なブランドイメージへの影響も考慮する必要があります。特に損失フレームやネガティブな表現は、一時的な行動喚起には有効でも、過度に利用すると顧客にネガティブな印象を与える可能性があります。
チームへの説明と導入
フレーミング効果を行動経済学の理論としてチームに共有し、施策に落とし込む際には、専門用語を避け、具体的な事例を交えて説明することが効果的です。
- 説明のポイント:
- 「人は思っているほど論理的ではない」「感情や直感、文脈に影響されやすい」という行動経済学の基本的な考え方を共有します。
- 有名な実験例(アジア病問題など)や、身近なマーケティング事例(スーパーでの価格表示、保険の加入促進など)を挙げて、フレーミング効果がどのように働くかを視覚的に理解させます。
- 「この表現の代わりに、このように伝えたらどうなるか?」という具体的な問いかけを投げかけ、チームメンバー自身に考えさせる機会を設けます。
- 「なぜこの表現が効果的なのか?」という問いに対して、「これはフレーミング効果という心理的なメカニズムに基づいています」と説明することで、施策の背景にある論理を示し、説得力を高めます。
- A/Bテストの結果を示す際に、「この表現は利得フレーム、こちらは損失フレームで設計しました。結果として損失フレームの方がCVRが高かったのは、顧客が損失回避を強く意識したためと考えられます」のように、行動経済学の視点を加えて分析結果を共有します。
まとめ:フレーミング効果で顧客心理を読み解く
マーケティングにおけるメッセージ設計は、単に製品・サービスの機能を羅列するだけでなく、顧客の心理にどのように響くかを深く考慮する必要があります。行動経済学のフレーミング効果は、この「伝え方」の重要性を明確に示し、同じ情報でも表現を変えるだけで顧客の意思決定を大きく左右する可能性を示唆しています。
利得フレーム、損失フレーム、属性フレームなど、様々なフレームを意図的に使い分けることで、マーケティングコミュニケーションの効果を最大化できる可能性があります。そして、その効果をデータで検証し、顧客セグメントごとに最適なフレームを見つけるための継続的なA/Bテストと分析が、成功への鍵となります。
フレーミング効果の理解と実践は、従来のマーケティング手法に行き詰まりを感じている皆様にとって、顧客心理を深く読み解き、データに基づいたより精緻な施策を展開するための強力な一歩となるでしょう。ぜひ、貴社のマーケティング活動において、フレーミング効果の活用を検討してみてください。